○【臓腑雑説 7.胃】
五臓の説明が終わりましたので、これから六腑について説明していきます。
 臓腑学説①の総論でも述べましたが、六腑の特色は大きく2つです。一つは黄帝内経『素問』五臓別論篇の「所謂五臓なる者、精気を蔵してもらさず。故に満ちて実する能わず。六腑なる者、物を伝化して蔵さず。故に実すれど満つる能わず。」とあるように、六腑はその内に精を蔵せず、中空で虚実を繰り返すことです。
もう一つは黄帝内経『霊枢』衛気篇の「六腑なる者は水穀を受けて行(めぐ)らせ、物に化するゆえんの者なり」とあるように、食べ物に関与している内臓ということができます。
 要するに、中空で食べ物が入ってきた時には実の状態になるが、それを処理して次ぎに送るか外に排泄すると、また空虚になるのが六腑の特色なのです。
 次に六腑の個々について説明していきましょう。

 今回は胃についてです。胃は「胃?」とも呼ばれますが,解剖的には現代医学の胃と同じものです。また機能における古代中国人の認識も現代医学のそれと大差ありません。
まず解剖的には『難経』四十四難に「胃は賁門を為す。太倉下口は幽門を為す」とあるように、上は食管と接する噴門から、下は小腸と接する幽門までが胃の領域ということになり、体表のツボで示すと上?穴は噴門部、中?穴は胃体、下?穴は幽門部のところとされております。
 明代の張介賓『類経図翼』に書かれた解剖図の胃の形や説明からも胃は現代医学の胃と同じものであることが明らかです。

 胃の機能は「受納」・「腐熟」・「和降」の3つとされます。
 「受納」とは飲食物を受け入れることです。胃が「水穀の海」と呼ばれるのも、五臓六腑で口から摂取した飲食物を最初に受け入れる臓腑だからです。
この「受納」の機能が失調した状態を「胃納呆滞(納呆)」といいます。食欲不振や、食べ物が胃に入っていかない状態(食不下)を指しますが、この場合の標治法(対症治療法及びその症状を起している直接の病変部位に対する治療法を指す)は胃で、その受納機能を高めることです。
 「腐熟」とは飲食物を一定時間、胃に留めて「食糜」(どろどろの粥状にした飲食物)に変えることです。
これは初期的な消化活動ということができます。胃の「腐熟」機能に変動がおこると、飲食物は胃に停滞してしまいます。胃にいつまでも食べ物が残っている感じがしたり、胃の膨満感や胃もたれなどは胃の「腐熟」機能に病変が起こったものといっていいでしょう。
 子供がよく罹る「冬の風邪」は胃腸にくることが多いのですが,朝食べたものがほとんど未消化のまま夕方ごろ吐き出されたりします。これなどは中医学的には「外邪が陽明に直中」して,胃の腐熟機能が全く働かなくなったものと解されます。
 「和降」とはゆっくりと「食糜」を小腸に送る機能です。「胃は降濁を主どる」ともいいますが,胃の働く力は下降性のものということができます。胃の腐熟がきちんと行われると、胃はゆっくりと「食糜」を小腸に送って空虚になり、また「受納」の機能ができるようになり空腹感を覚え食欲がでできます。
この「食糜」をゆっくりと小腸に送る胃の機能を「和降」とか「通降」とかいいます。
こうした機能が失調し「胃気上逆」して起こる症状がげっぷや悪心嘔吐です。

 「いささか食傷ぎみで」といった科白は「食い飽きること」や「同じ物事の繰り返しで飽きてしまうこと」で使われますが、「食傷」は本来は病症名で節度のない飲食が脾胃を損傷し、「食滞」によって、食欲不振・胃?部の膨満感や疼痛・悪心嘔吐などの症状が起こることを指します。
 冷たいものを過食すると胃気(胃の機能)が停滞して胃が痛くなったり、子供がチョコレートや甘いものを少し多めに食べると、胃に熱が生じて、胃火が胃経に沿って上行し、口角や鼻竅に熱を結んで、口角の糜爛や鼻出血が起こってきます。
これらは全て、飲食物の内容や暴飲暴食などの飲食不節と直接かかわっていることでおこる胃の病症ということができます。
また緊張したりすると、胃がきりきり痛んだり、なにかいやな場面になると胃が気持ち悪くなって吐き気が起こったりします。恋患いはものがのどを通らなくなり、失恋すると過食症になったりします。
このように胃は精神的な影響を非常に受けやすい臓器なのです。こうした胃の状態を中医学的には、「肝気犯胃」とか「木乗土」といいます。この場合はたんに胃の治療だけではなく、本治法(その症状を起している根本原因)として、肝に対する治療を併せて行わなければなりません。
 「胃は降濁を主どる」ことに最も適し、胃のどのような病態にも対応できるツボが胃経の足三里です。五行で説明すると土経の合土穴ですから、胃経のなかでは、胃に対して一番、調整作用が強く働きます。
ですから「健康になるにはまず胃腸を整えねば」と考えるなら,足三里穴はお勧めのツボです。足三里穴は「長寿穴」と呼ばれ、昔から日本では、どこの家庭でもお灸をしてきたツボです。

ところで日本の経絡治療家は「胃の気」ということをよく言います。中医学的には「胃気」は普通、胃の精(五臓六腑は全て精を作る)によって生じる胃の生理機能を指します。日本の各鍼灸流派で使っている「胃の気」はそれとかなり意味を異にすることがあります。
 中国医学の古典にも「胃気」については様々な記載が見られます。例えば『霊枢』口問篇には「穀は胃に入り、胃気上りて肺に注ぐ」とありますが、この場合の「胃気」は明らかに脾胃の作用で中焦に取り込まれ脾の昇清作用で上焦に運び上げられる「水穀の精微」を指しています。
また『素問』玉機真蔵論篇の「脈 弱にして以って滑なるは、是れ胃気あり」などのように、脈象において脈に「胃気」があるとかないとかいいます。
この場合の「胃気」は各臓腑経絡に後天の気である営衛気血が供給されているかどうかを判断する診断上の用語ということができます。
 脈に「胃気」があるとは「従容和緩として速からず遅からず」の生理的脈が脈象に診られることを指し、これが少ないのは病症、これが無いのは重篤な状態を示していると判断します。
このように「胃気」についてはさまざまな使い方がありますから、その流派の使っている「胃の気」の概念や、中国医学古典がどのような場面でこの用語を用いているかをまず確認する必要があります。

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