○【臓腑雑説 5.脾 】
 脾も肝と同じく膈より下部で臍より上方の中焦(上腹部)という領域に位置する臓器です。

 中国歴代の医学書に記された脾の形状や位置は次のようなものです。

 
「脾と胃は膜をもって相連なる。」 
(『素問』太陽陽明論)
「脾は重きこと二斤三両,扁たく広きこと三寸,長きこと五寸,散膏半斤を有す。」
(『難経』四十二難)
「形は刀鎌の如し,胃と膜を同じくしてその上の左に附す。」 
(『類経図翼』)
 

こうした記述から判断すると古代の中国人は現代解剖学の脾臓を「脾」と呼んでいたことがみてとれます。あるいは「散膏半斤を有す」ということを付け加えて判断すると、脾臓と膵臓の両方をあわせて「脾」としたのかも知れません。

したがって、
 
「現代医学において膵臓と呼んでいるものを漢方医学では脾と言っています。
どうしてこんなことになったかというと、オランダ医書のほん訳のときに杉田玄白が、こんな重要な消化器官に脾なんという粗末な名称はいかん、脾とはしもべ、下卑、野卑の意味であり、脾臓とは下等な臓器の意味である。
そして萃(アツマル)、多く萃り栄えるところの臓器という意味から膵の名称を附し、脾を漢方で認めなかったものに附してしまった。
ここから合致しなくなったのである。・・・重ねていうが、漢方医学および経絡治療での脾は現代医学の膵臓のことである。」
(本間祥白著『経絡治療講話』)
 

などの「脾=現代医学の膵臓」といいきってしまう一部の主張は、杉田玄白の故事はさておき、解剖学的な見地からすると、かなり無理な感がぬぐえません。

つぎに脾の働きについて説明しましょう。中国の医学古典に記された脾の働きは主に次の4つです。引用文で示してみます。
 
「胃は水穀の海となし、飲食の受盛を主どる者なり。脾気は磨きて之を消す。則ち能く食す。」
(隋代・巣元方『諸病源候論』)
「脾気は健運をもって能となす。」
(清代・林珮琴『類證治栽』)
「血を裹(つつ)むことを主どり、五臓を温む」
(『難経』四十二難)
脾は血を統(す)べる。脾気虚すれば則ち収摂すること能わず。」
(明代・張介賓『景岳全書』)
 
この中で脾の作用として現代中医学が一番、重きを置いているものは、2.の「運化」作用ですので、ここでは「運化」についてだけ説明いたします。


「脾は運化を主どる」
「運化」とは「運送」と「消化」を合わせた語と考えていいでしょう。
 要するに食べ物の中から体にとって必要なもの(これを水穀の精微と呼びます)を小腸で取り込み,それを上焦(体幹の膈より上の領域)まで運び上げるのが脾の働きの中心であり,それを言葉で言い表したのが「運化」なのです。
 中焦から上焦まで「水穀の精微」を運びあげることを脾の昇清作用といいます。
 上焦まで運び上げられた「水穀の精微」は肺によって取り込まれた「自然の清気」と合体して「宗気」となり,これが全身のありとあらゆるところを養う気血の素となるわけです。
また「水穀の精微」に含まれている水液(これは津液と呼ばれます)の一部は肺の宣発作用で三焦を介して全身に送られていきます。
ですから,脾は体の基本物質である気血や津液の原材料を供給している臓器といえます。
この気血や津液がなければ人間は生きていけませんから、「脾は後天の本」とか「脾は生化の源」などと称されるのです。
 脾の働きが悪い(脾失健運、脾気虚)と、次のような症状が起こってきます。
まず小腸から水穀の精微を取り込むことができませんから、飲食物は未消化のまま、大腸に送られてしまいます(これを清濁不分といいます)。そこで下痢がおこってきます。
 逆に考えれば、下痢は病位としては小腸や大腸ですが、その多くは脾気の変調によって起こる症状なのです。したがって下痢の場合は脾の治療をおこなわなければなりません。
また脾の働きが悪くなりますと、小腸から取り込んだ水穀の精微(水穀の気と津液)を中焦から上焦まで持ち上げる昇清作用ができなくなりますから、中焦や膈のところに水穀の精微が停滞するようになります。
 停滞するとそれは人間に害を及ぼす「内生の邪」として、各臓腑や諸器官に流れ込み、様々な病症を起こします。
そうした病症を痰証とか飲証といいますが、その多くは脾気の変調によります。

 例えば喘息は胸中の伏痰が飲食や感情の変化などで息道を塞ぐことでおこるとされますが、その伏痰の生成には「脾は生痰の源、肺は貯痰の器」と言われるように、脾が大きく関わっていますから、肺や腎だけでなく、脾もその治療対象となるのです。
さらに胸中に運び上げる気血の原材料が少なければ、当然、気血は作られませんから、気血不足になります。
もし摂取する飲食物が少なければ、摂取量を増やせばいいのですが、たくさん食べても、眩暈、息切れ、動悸、顔色が悪い、月経の量が少ない、淡舌、細くて力の無い脈など、気血が不足する状態が現れた時には、脾を治すことが最優先となります。

 次に脾の属性や他の諸器官との関連について、古典を表題として簡単に記しておきましょう。
 
「脾は胃と合す」
 脾は胃と「脾と胃は表裏を為す」という密接な関係をもっています。
 脾と胃の表裏関係は、一つには脾経と胃経の経脈が繋がっていることによります。
 具体的には、脾経と胃経の内行経が属絡関係にあることと、外行経では絡脈を通じて両脈の間の脈気がつながっているからです。
もう一つには脾と胃の生理活動や病理にはお互いに関連しあう部分があるからです。
 「受納、腐熟、和降」によって食べ物を消化し、小腸に送る胃の下降性の力と、消化した食べ物をとりこんで上焦まで運びあげる脾の上昇性の力は対になっており、その両者が十全に働くことではじめて食べ物から気血は作られるのです。
ですから、『素問』霊蘭秘典論では、脾と胃をあわせて「倉廩の官」(全身を営養する倉庫の役人の意味)と呼んでいます。

 「脾は口に開竅する」
 口舌が食べ物の味を感じるのは脾気によるとされます。
ですから、味覚減退の治療では、脾が治療の中心となります。

 「脾は肌肉を主どる」
 肌肉は食料貯蔵庫としての筋肉つまり筋肉の脂肪層を指していると私は考えております。
 気血が充足しているにもかかわらず、食べ物から水穀の精微が取り込まれると、脾は肌肉にそれを蓄えておき、必要な時にそれから気血を作り出しているのです。
したがって脾に変動があると痩せるといった肌肉の状態が現れてきます。

その他にも「脾はその華は唇四白にある」、「脾は意を蔵す」、「涎は脾の液」、「脾は四肢を主どる」など、医学古典には脾に関連する文言が数多く見られます。
 特に金元四大家のうち李杲は脾胃の治療を重要視し、「元気の充足は全て脾胃の気が傷られないことによる」(『脾胃論』)と主張して補土派を形成し、その後の中国医学に多大な影響を与えています。 

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