○【臓腑雑説 4.肝】

肝は膈より下部で臍より上方の中焦(上腹部)という領域に位置する臓器です。
 具体的には「肝は膈の下に居し、上は脊の九椎の下に着く。・・・その臓は右脇、右腎の前にあって、胃とならびて脊の第九椎に着く」(明代・張介賓『類経図翼』)とありますから、現代医学の肝臓と同じものを古代の中国人も肝と認識していたのでしょう。
 私たちの学校の教科書になっている『針灸学基礎篇』(東洋学術出版社刊)の第1章緒論の第3節「恒動観[昇降出入]」には「心肺は上焦に位置しており、上にあるものは『降下』のベクトルに作用する。肝腎は下焦に位置しており、下にあるものは『上昇』のベクトルに作用する。そして脾胃は中焦にあり、この昇降の枢軸的役割をはたしている。」と肝は下焦に位置することが書いてありますが、これは、肝の働きについて述べたものであり、肝自体の存在部位はあくまで中焦で、兪募穴の奥にその臓腑があるとすると、肝は脾よりむしろ高い位置にあります。

 肝の作用の中心は「蔵血を主どる」、「疏泄を主どる」の2つです。


「蔵血を主(つかさ)どる」
前出『針灸学基礎篇』を見ても分かるように、現代中医学書ではどの本も肝の作用として「蔵血を主どる」ことより、「疏泄を主どる」ことを先に記します。
しかし、古代中国人の肝に対する最初の認識は、肝が血を蓄えて、経脈の気血の流量を調節していることだったのです。その辺に関しては、拙著『針師のお守り』(東洋学術出版社刊)に「肝は疏泄を主る」と題して卑論を開示していますので、暇な折でも、是非、一読されることをお勧めします。
 話を戻すと、禹の治水伝説にみられるように、古代中国人にとって、治水はそれこそ国家存亡に係わる大事だったわけで、堤防を高くしたり、運河や貯水池を造成したりして洪水を防ごうとしました。『霊枢』経水篇に見られるように、人体は中国の地形になぞらえ、十二経脈は中国の河川と対比させていましたから、洞庭湖のごとく、経脈を巡る気血を調節する貯水池を五臓六腑のどれかに求めることは極めて自然だったのではないでしょうか。その白羽の矢の立ったのが肝だと思うのです。

 『素問』五蔵生成篇の「人臥(ふ)せば血は肝に帰す」にみられるように、夜中、体を休めている時は経脈の血液はそれほど多く流れている必要がないので、肝に蓄えられ、昼中、起きている時は肝から血液が経脈に放出されるというのです。
つまり、肝の役割とは血液の貯蔵とともに、貯蔵池の門戸の開閉を管理することだったのでしょう。したがって肝の病変とは、貯蔵池たる肝に血液が入ってこず、経脈の血液があふれてしまい、様々な出血がおこってくることと、肝の蓄えている血液が少なくて起こる眩暈や眼精疲労、無月経などということになります。
しかし、後者の場合、肝血が少ないことと全体を巡っている気血の不足の違いはどこにあるのでしょうか。後述の「肝は筋を主どる」のは肝血が筋を滋養しているからということですが、これはなぜ、気血ではないのでしょうか。
そこで、私自身は全身を巡っている気血と肝が蓄えている肝血は別物であると考えました。要するに気血は肝の作用で肝血に変化して、肝に蓄えられると思うのです。肝は気血から肝血を作りだし、肝に貯蔵して、気血や腎精の不足に何時でも対応できるように備えているとみた方が自然です。
ですから、肝血不足の場合、その原材料である気血不足を治療する場合もありますが、気血が旺盛にあって、肝血が不足しているならば、これは肝の治療が中心となります。


「肝は疏泄を主どる」
人体のあらゆる生命活動は気によって行われるのですが、その気の調節作用を肺とともに肝が担っていると現代中医学では考えます。そのことを「肝は疏泄を主どる」といいますが、特に血液や津液の運行管理は、肝気が支配していますから、肝気が鬱結すると?血や痰飲などの病理産物が体内に生じてきて、無月経や喘息など様々な病変が起こります。また脾胃の働きも肝気の疏泄の影響を受けます。いわゆる、いやな事がおこると途端に食欲が無くなったとか、緊張するとお腹を下すといったパターンです。こうした場合は肝気鬱結の治療をしないと、なかなか病気はよくなりません。

 次に肝の属性や他の諸器官との関連について、古典を表題として簡単に記しておきましょう。

 
「肝は胆と合す」
 肝は胆と「肝と胆は表裏を為す」という密接な関係をもっています。肝と胆の表裏関係は、一つには肝経と胆経の経脈が繋がっていることによります。
 具体的には、肝経と胆経の内行経が属絡関係にあることと、外行経では絡脈を通じて両脈の間の脈気がつながっているからです。
もう一つには肝と胆の生理活動や病理にはお互いに関連しあう部分があるからです。特に胆は胆汁を蓄えておりますが、胆汁自体は肝の余気によって肝で作られます。胆汁は肝の疏泄作用によって肝から胆に運ばれ、そこで蓄えられ、腸胃の消化吸収活動の必要に応じて腸に分泌されます。この時も肝の疏泄作用が関与します。

 「肝は目に開竅する」
 肝経は上って目系(目と脳を結んでいる脈絡)に連絡し、肝血を目に注いでいます。ですから、肝血が旺盛に存在すれば、目はよく物を見ることができます。そのことを『霊枢』脈度篇では「肝気は目に通じる。肝和せば則ち目はよく五色を弁ずる」と記しております。
 物を見る力は肝血だけでなく、腎精や心血も関係するのですが、とりわけ、肝の変動は目に現われてきますので、「肝は目に開竅する」といわれているのです。

 「肝は筋を主どる」
 『霊枢』九鍼論に「肝は筋を主どる」とあるように、全身の筋脈は肝血が養っていますので、肝血が不足すると、様々な運動器の疾患が起こります。これまでの臨床経験では、難治性の運動器疾患の場合、気血は旺盛にありながら、なぜか肝血が不足していることが多いように思われます。

 「肝はその華は爪にある」
 爪は「筋の余り」と呼ばれ、筋と同様、肝血に養われていますので、肝血の変動は爪に現われてきます。具体的には爪の色や質で肝血の状態をある程度、判断できます。

 「怒りは肝の志」
 「怒り」の感情は肝気鬱結の状態を引き起こし、肝の疏泄機能を変動させ?血や痰飲を作りだします。さらに肝気が鬱結すると肝は熱を帯びてきますから、眩暈、頭痛、喀血、顔面紅潮、目の充血など体の上部に様々な症状が現われてきます。また肝を病むと怒りっぽくなるとされます。

その他にも「肝は涙を為す」とか、「肝は魂を蔵す」、「肝は将軍の官、謀慮、焉より出ず」、「肝は罷極の本」など肝に関する様々な古典の記載がみられますが、紙幅の関係で、この辺で終わりとします。

現在の閲覧者数: